株式会社一休に入社しました

転職のお知らせ、あるいは個人の日記です。

6月から以下のように所属変更となっています。

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株式会社はてな
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株式会社一休

マネージャではなく、とくに役職のないソフトウェアエンジニアとして働きます。いわゆるIC (individual contributor)というやつです。

きっかけ

はてなには新卒として入社して以来11年も勤めて、インターンやアルバイトとして関わった時期から数えると16年になります。出入りの激しいこの業界でずっと1社しか知らずに過ごすのは負い目に感じていました。また、年齢的にも今年で40歳になることもあって、そろそろ転職を経験しておかないとまずいという焦りもありました。

そんなときに、大学の同期でプライベートでも仲良くさせてもらっているid:suzakから声をかけてもらい、ちょっと真剣に転職を考えたのがきっかけでした。

できることではなくやりたいこと

はてなでの仕事にとくに不満があったわけではなく、直近はエンジニアリングマネージャとして元気に(?)働いていました。この辺の話は以前Backyard Hatenaで話させてもらっています。

ただ、ここでも話した通り、根底には「ハッピーにコードが書きたい」という想いがあり、そういうことができる組織を実現するためにエンジニアリングマネージャをやっていると自覚していました。

マネージャをやることに決めたときは、少しコードを書く仕事に飽きてきていました。コードを書くだけなら基本的にどんな状況でも最善の方法で自分は書くことができて、なんの苦労もない。苦労がないからあまり成長も感じられない。そんなふうに思っていました。

逆にチームで最高の結果を出すにはまだ大きな隔りがある。そう思ったからマネージャをやることにしたのでした。マネージャというのも高度に専門的な職種だと思いますが、これまでやってこなかった分、学ぶことが多く成長を感じやすいと思ったのです。

そこからしばらくマネージャをやってみて、だいぶ慣れてきました。最初はすごくガツガツやろうとしたのですが、人と人が関わる部分がメインの仕事なので自分がフルパワーで頑張ってもどうしようもないこともわかりました。それで良くも悪くも少し力を抜いて仕事ができるようになりました。ただそこでふと気づいてしまったんです。「あ、これは今、できるからこの仕事をしているに過ぎないな」と。

思えば、博士後期課程に進学しておきながら研究職に就かなかったのも、一言で言えば「研究はやればできるけど、すごくやりたいことではない*1」と気づいてしまったからでした。マネージャ職も同じ*2でした。

これに気づいた頃、ちょうど趣味でライブラリを書いていました。

趣味でコードを書くのもちょっと面倒に感じるお年頃だったため、実はこれは自分から進んで作りはじめたわけではなく、id:Windymeltくんと雑談していて「いや、拡張可能レコードはScala 3の機能を使ったら綺麗に実装できるよ」と言ったら、なんか作る流れになってしまったのでした*3

でもこれを作り始めてみたら、なんとも楽しい。長年ソフトウェアエンジニアと型安全おじさんをやってきたおかげで、頭だけ暇なときに「こういうふうに作るぞ」と思い描いておいて、時間ができたらガッと書くとバッチリ動く。みるみるうちに基本機能ができて、そこからはさらに「こういうのがあればこんな風に使えて超べんり」というのをどんどん思いつく。これは最高にハッピーな開発です。困難や成長はそれほど感じないけど、でも楽しい。

そこで完全に気づいてしまったのです。僕は「ハッピーな開発」がしたかったのであって、「ハッピーな開発ができる組織を作る」のはとんだyak shavingだったことに!!

日常的にyak shavingをしているから感覚が麻痺しているし、yak shaving自体はむしろ好きなんですが、もういい歳なのでもう少しストレートにやりたいことを追求してもいいんじゃないかと思い直したのでした。

インターネットのためのインターネットサービス

はてなに対して大きな不満はなかったのですが、残念に思っていることはありました。それは、インターネット黎明期の「インターネットのためのインターネットサービス」のような仕事が減ってしまったことです。これは会社のせいというよりそういう時代であり、もし会社のせいだとしたらマネージャであった自分の力不足でもありますが、おそらく誰がやってもそういうものだったと思っています。

僕が一番長く関わったプロダクトは、はてなブックマークです。このプロダクトの面白いところは、どこまでもインターネットを楽しむためのインタネットサービスなところです。技術的にはインターネット(Web)の仕様そのものに関わる部分が多い点が魅力です。クローラのようなものを作らないといけないからです。標準ライブラリのURLの(字面の)標準化(normalization)の挙動が微妙だからRFC 3986を読んで自分で実装したり、正規化のためにRFC 6596を実装しつつ、link[rel=canonical]を誤指定しているサイトがあまりに多いために、SEO専門家の助言の下で検索エンジンがやっているようなad-hocな例外処理を入れるみたいな機会はそうそうないでしょう。

僕らのような、現実世界が窮屈で黎明期のインターネットに居場所を見出した人間にとっては、「インターネットのためのインターネットサービス」はなくてはならない大事なものですが、普通の多くの人にとってはそうではありません。そこに価値を見出す人が多くなければ利益は生まれません。

とくにはてなブックマークは「どうやって儲けているのかわからない」「霞を食っているのか」などと言われました。それは多くの人にとって「インターネットのためのインターネットサービス」は生活に必須のものではないからでしょう。こういうサービスが実際どうやって儲けているかと言えば主に広告収入です。ただそれにしたって、事業として成立するほどの広告収入を得るのはすごく大変です。

社内で事業プランコンテストをやったことがあり、僕もプロダクトマネージャ役で1チーム持っていろいろ試算したりしたことがあるのですが、「□年後に○億円」みたいなゴールを掲げて新しい事業を起こそうとすると、広告収入だけでそこに到達するには、はてなブログ全体のPV数くらいが必要になります*4UGCで毎日勝手にページが量産される仕組みがあり、ユーザ数もそれなりの規模を抱えてようやく達成できる数字が、なんと最低ラインなんです。会社が大きくなって、事業の初期ゴールの水準が上がっているのかもしれませんが、それにしたって00年代くらいの「なにか作って当たればワンチャン」の雰囲気からすると社会全体がだいぶ変わってしまったと思います。

はてな自身も、昔ながらの「はてな○○」なサービスと比べ、最近の事業は誰がどうしてお金を払ってくれるのか分かりやすいものが多くなりました。この傾向は、はてなブックマークはてなブログを担う僕の所属していたコンテンツ本部でも同様で、この部署でこれから新たにやろうとしていることにも明確に表れています。他人事のように言っていますが、もちろんそういう方針になっていったのは僕自身のせいでもあります。

そうなってみて「インターネットのためのインターネットサービスはもう新たにはやれないんだな」とはっきり口にしてみたとき、「それだったらぶっちゃけ、やるサービスはなんでもよくないか?」と思ったのでした。はてなにこだわる点はここだったのだなと改めて自覚しました。

ゴールとリンクした仕事

もう少し開発目線でも考えてみると、コンテンツ本部のエンジニアリングマネージャとして一番注力してきたことはプロダクトマネジメントの強化で、ここの課題感と「どうやって儲けるか」は実はリンクします。僕がマネージャになった頃、企画職と開発職の分断があったというか、分業化しすぎていろいろうまくいっていませんでした。これを立て直すために、まずは分断はあるものとしてせめてうまく協業できるように、デュアルトラックアジャイルをしっかりやろう、そしてその先にデュアルではないワンチームの職能横断組織を実現しようとしていました。

これは実は構造的な問題です。本来ならエンジニアも「どうやったら利益につながるか」を考えながら「プロダクトをこうしてはどうか」と意見を持って開発を進められるのが理想です。しかし広告モデルはそれを許しません。なぜなら「作ったら儲かる」という構造ではないからです。作って、それで盛り上がってユーザが増えて、PVが増えて広告枠を増やせる*5か、コンテンツが煮詰まって単価が上がるかして、それでようやく利益が増える。そういう構造です。ちょっと作ったら明日から○○円増収なんてことは基本的にありません。

この点を課題に感じていたため、一休の人に話を聞いたときにはものすごく腑に落ちました。一休は宿泊やレストランの予約サービスをやっている会社ですが、たとえばUI/UXを改善したら予約件数が増え、予約件数が増えれば増収となるのです。だからエンジニアも普段から「どうやったらより利益が出るか」を考えているようです。もちろんプロダクトの方向性や成長戦略を考えるディレクタや経営陣はいますが、細かい部分でどうするとよりゴールに近づくかは現場のエンジニアやデザイナの裁量によるところもだいぶ大きくなります。実際のところはまだ入社したばかりで想像の範囲ではありますが、少なくともそうしやすい収益構造になっていると思います。

これはもしかして自分がやりたかった開発体験なのでは...? そして、こうも感じました。「昔のはてなみたいだな」と。分断のない開発という意味では、昔のはてなもそうで、僕がコンテンツ本部でいろいろ変えようとしていた先に目指していたものでもありました。

どう作ったらゴールを達成できるのか自分で考えて作ることができる。これが「ハッピーな開発」です。

仕事の仕方を教えてくれた人とまた働く

ここまでの話だけでは一休を選ぶ理由にはなりません。それどころかはてなでの開発も、微力ながら僕も改善に奔走したことと、優秀な若者たちの頑張りによってだいぶ「ハッピーな開発」になってきました。とくに退職直前の3ヶ月くらいは、ちょっと手が足りないと言うので僕も現場の1エンジニアとしてヘルプに入ったのですが、非常に楽しい開発体験でした。

それでも転職を決意した理由は人との縁です。おそらく、一休の話を聞いて「昔のはてなみたいだな」と思ったのは偶然ではありません。一休のCTOのid:naoyaさんは、僕がはてなインターン・アルバイトとして過ごした頃のはてなのCTOであり、チームの直接の上長でした。

その当時id:naoyaさんは「俺レベルになると、やりたいことを仕事にする」とおっしゃっていて、僕はその言葉が忘れられず、振り返ってみると自分の仕事人生でずっと大事にしてきました。

この言葉の文脈を説明しておくと、当時id:naoyaさんはいろんな賢いアルゴリズムを見つけてきてはプロダクトの機能に活かすということをやっていて、「この技術を使ってみたい!!」となったらそれを必要とするような面白い機能を考えて堂々と仕事として試すということをしていました。僕はアルバイトの身でありながら、id:naoyaさんがプロトタイプを実装してイケそうだと思ったものを「この実装を見て、あとこの論文も読んで、プロダクトに入れられるように完成させといて、よろ」という感じに仕事として振ってもらっていたのでした。

なんと質問したのかは忘れましたが、コードを書く仕事をする上で必ずしも書くのが楽しくてやりたいと思える仕事ばかりではないんじゃないか、そういうときはどうするのか、みたいなことを訊いたんだったような気がします。この話をid:naoyaさんにしたら覚えておられなかったので、単に「やりたいこと」と「やれること」と「やるべきこと」の積集合の部分をやれという、仕事一般論としてよくある返答だったのかもしれません。でもid:naoyaさんの言い方のおかげで僕にとってはそれ以上の意味になりました。「やるべきこと」を満たしてさえいれば「やりたいこと」に振り切ってもいいんだと捉えたのです。

僕はもともと、学校の課題なども、要件通りにやるのではつまらないから余計なことをしたくなるタイプでした。たとえば、中学生の頃は理科のテストだけど漢字で書けるところはすべて漢字で書く(たとえば「〜する」は「~為る」と書く)みたいな自己満足の遊びをしたりしました。そういう余計なことをしていても、だいたいいつも満点なので先生に怒られることはありませんでした。要件を満たしていれば文句は言われないから好きなことをやればいいと学んでしまったのです。id:naoyaさんの言葉から、これは仕事でも同じなんだと理解しました。

おかげでこれまでの仕事人生では、仕事内容によらずモチベーションを保つことができました。仕事自体がつまらないなら自分なりに楽しめる課題も設定してクリアすればいいんです。エンジニアがしばしば遭遇する「つまらない仕事」にはたとえば「場当たり的な対応」があります。これをもし場当たりではないスマートな方法で、かつ時間もそうかからずにクリアできればむしろ賞賛されます。怒られるどころか評価は上がるばかりです。僕にとってこのやり方は「いい仕事」をするための鉄板の型となりました。

そういうやり方を教えてくれたid:naoyaさんとは、またいつかいっしょに仕事をしてみたいとずっと思っていました。誰しも人生で出会ってきた人の中で「もしこの人に声をかけられたら絶対に断れないな」と恩を感じている相手がいるんじゃないかと思いますが、id:naoyaさんは僕にとってのそういう人でした。

後を任せる人たち

はてなでの僕はエンジニアリングマネージャ、それもいわゆるEM of EMsでした。そんな重要そうなポジションだといきなり辞めたら影響が大きそうですが、幸い僕の下(という言い方はアレですが組織構造の建て付け上の話)でやっていた人たちは優秀で、そろそろ本部付きのEMの座を明け渡さないといけないと思っていたところでした。

僕も、マネージャをやるからには自分の仕事がどんどんなくなるようにやってきたつもりですが、ブログ上でも積極的に発信しているid:yigarashiくんがEMとしてめきめき成長して、僕は本当に楽をさせてもらいました。「ワシが育てた」という感じではなく勝手に育ってくれたのですが、いずれにせよ目論見通りです。ちょうど転職を決めるか決めないかの頃に1on1で「そろそろ本部付きEMの座を奪いに行きたい」と相談されたときには思わずニヤリとしました。

他にも、僕がEMとして「後を任せられる人」と思って採用したid:d-haruさんも頼もしく活躍してくれています。名前を挙げるときりがないのでこの辺にしておきますが、僕がテックリードを育てようとしていたのも功を奏したのか、テックリードやテックリード候補の人たちも粒揃いです。

この点に関しては本当に恵まれていて、後のことを全く心配せずに転職を決められました。

待遇その他

当然、転職で給与は上がりました。これも幸運だったと思います。そもそもマネージャ職になってしまってからの転職だと、マネージャ職としての採用が現実的だと思います。ICでしかも給与水準を上げてとなると難易度が上がります。そのせいで、漠然と転職を意識していたものの、声を掛けられるまでは億劫で転職活動はしていませんでした。

最初はこれを機に他の会社の話も聞いてまわろうかと思ったのですが、それもやっぱり面倒になってしまいました。待遇のハードルはありますし、それ以外にも企業文化や経営陣の考え、社員の雰囲気が合うかなど、いろんな要素があります。その辺はおそらく僕より口うるさいid:suzakがやれている会社なら大丈夫だろうという安心感がありました。(ぜんぜん知らない人には伝わらないと思いますが、id:suzakを知っている人なら僕の言いたいことはなんとなく分かるんじゃないかと思います。)

おわりに

まとめると

  • そろそろ転職したい年頃だった
  • 自分が何を大事にして仕事をしているか見つめ直し、満たせそうだった
    • ハッピーにコードを書きたい
  • 縁があった
  • 後のことを任せられる
  • 待遇も申し分ない

という条件が揃ったため転職を決めました。

転職にあたって東京に引っ越したので、関東の方にはお会いしやすくなりました。よろしくお願いします。

*1:もう少し正確に言うと、研究することそのものは好きというか性に合っているのですが、そのために申請書を書いたり予算のことを考えたり、そもそもテーマも新規性やインパクトを鑑みて自分の業績がどうなるか気にしながら設定したり、そんな面倒なことをしてまでやりたいことではない、という感じです

*2:でもこちらは性に合ってるとさえ思いません。やったら一応できる、というだけ

*3:正確には、簡易的に実装したものを見てid:Windymeltくんが「もうこれでいいじゃん」と言うので「いや、もう少しいろいろ考えなきゃいけない部分があるんだよ。まぁやればできるけどね」という話をしていたら「じゃあやれよ」という雰囲気になってしまったのでした

*4:はてなブログは課金機能や企業向けのオウンドメディア事業などもあり、スタートアップとして始める事業の最初に設定するゴールよりは当然うんと儲かっています

*5:広告の出る位置を増やすという意味ではなく、同じ位置でも(時間的に)細分化してたくさん売ることができるようになるという意味です